なぜなに山高帽子・第二回:柿の種、その秘密

懲りずに始まりました、私があらゆる質問にお答えするという企画。

なぜなに山高帽子。

それでは早速行ってみましょう。

 

人呼んでガガイモ探偵、山科衣葉さんからの質問

『それでは、カキの種についての関連質問。
どうして、トウガラシエキスを使って、あんなに辛い味付けにしたのか?
どうして、ピーナッツを入れるのか?』

と、言うわけで調べてみました。

で、辛さの由来ですが。

・・・・・・・。

も、もう少しお待ちください。

あ、ああっ、投げないで!ピーナッツ投げないで!

うう・・・、べ、別にサボっていたわけじゃないのです。

調査は着々と進んでおります、期待して待っていてください!

では、その結果をご披露しましょう。

  

唐辛子

えー、古くから唐辛子の薬効は知られていたようです。

日本に入ってきたのは室町時代後期、1542年にポルトガル人が持ち込んだという説。

文禄・慶長の役(1592~1597年)の時、近藤勇もあこがれたという武将、加藤清正(近藤勇の拳を口に入れるという一発芸(?)は彼の特技だったそうです、何で入れたのかはよくわかんないけど・・・)が朝鮮から持ち込んだという説。

江戸前期(1605年・慶長10年)に朝鮮から対馬に渡来したという説。

1608年(慶長13年)にタバコと一緒に南蛮から渡来した説など、色々説はあるようですが。

とにかく、ええと・・・・300年近く前に持ち込まれたものであるのは間違いないようです。

江戸中期・宝暦・明和年間(1751~71)の頃から大きな張子を背負って唐辛子を売り歩く行商が流行したりしまして。

その頃(1787)発行された『食品国歌』という本には「唐辛子胃口を開き食を化し、風湿諸毒邪気を去るなり」なんて記述もあるようですから、その薬効は有名だったんでしょう。

で、誰かが「唐辛子と醤油」の組み合わせを考えたんじゃ・・・。

塩味、醤油味との組み合わせは七味唐辛子でおなじみですから、連想してもおかしくはありませんよね?

で、調べてる時に判ったんですけど関西のほうだと小麦煎餅を煎餅、それで米煎餅はおかき、とか、かきもち、って呼ぶんですってね。

柿の種も煎餅というより大きさ的にはおかき系統っぽいし、今井氏が関西で修行を積んだという事実から鑑みても、唐辛子味のルーツは関西にありそうな気がしますね。

今井氏が修行を積んだ煎餅屋(あられ屋かもしれませんが・・・)の名前と、唐辛子を煎餅にはじめに入れた人を現在調査中であります。

 

醤油味

醤油味の煎餅は今でこそメジャーですが、当初中国の宮廷料理だった煎餅が日本に入ってきたとき、煎餅の味付けは砂糖が主流の甘いお煎餅だったそうです。

それが江戸時代頃の『嬉遊笑覧』1830年序(文政13年)という書物に

『塩煎餅といふもの、昔の煎餅にて廃れて後、近在には稀に見えしを、この頃は江戸にも流行りて、本所柳島辺にて多く作り、所々の辻にて駄菓子と同じく売り、また神仏の縁日にも持ち出て売る』

と、言うのがありまして、文化・文政年間(1804~29年)頃から江戸では、それまで主流だった小麦煎餅から丸型の塩煎餅が流行し、現在に至ります。

もちろん醤油味の草加煎餅も塩煎餅の中に入るわけなんです。

恐らく、その醤油味のルーツは埼玉市草加市名物の草加煎餅かと思われます。

草加煎餅は江戸時代前期、寛永年間(1624~43)に日光東照宮の建立によって日光街道の旅人が激増した頃。

草加にあった宿で売れ残った塩団子(この頃まだ醤油は庶民に普及していなかったようです)の処理に困ったところを通りがかりの武士が。

「乾かして焼いてみたらどう?」と、言われてやってみたのが始まり、という逸話があります。

煎餅を作った人はどうして人に言われたことを素直に聞くんだろう・・・。

醤油味になったのは文化・文政年間(1804~30)の頃で、あのバリバリという小気味よい歯ごたえや香ばしい香りが江戸っ子好みで評判を呼び、ベストセラーとなった、ということのようです。

・・・まあ、醤油味については質問はなかったんですが、ついでです。

 

さて、ピーナッツについての質問にお答えしましょう。

これは前回の柿の種の記事を書いている時にウィキぺディアにて発見しました。

 

ピーナッツが柿の種に混入されたのは1955年のこと。

この当時、需要が伸び悩んでいたピーナッツを売れ筋好調だった柿の種に混ぜたら、結構好評だった、という結構簡単な理由だったようです。

ただ、これを始めた会社のことはまだわからないのです。

追って調査を続行し、お知らせします。

 

まだ結構判ってないところもありますが・・・。

まあ、もう少しお待ちください!きっと答えを出して見せますよ、はっはっは!

因みに今回の記事を書くにあたりネット百科事典ウィキペディアの柿の種、唐辛子の項目と。

編:岡田哲 たべものの起源事典 東京堂出版 を参考にさせていただきました。

ありがとうございました。

 

なぜなに山高帽子では引き続き質問をお受けしています。

アニメ・小説、世界の事件、生物、ありとあらゆることを山高帽子が図書館とウィキペディアを駆使して調べます。

がんばってお答えしますので、どしどし質問お待ちしております。

ていうか、今にも打ち切りになりそうなこの企画、質問がないと存在意義が消えます。

も、もしなかったら自転車操業とかもありえたり・・・。

よ、よろしくお願いします!

質問はコメント欄にて。

| | コメント (8) | トラックバック (0)

第一回 柿の種、栄光への道

新しく始まりました企画、その名も・・・。

「なぜなに山高帽子」。

え?元ネタですか?機動戦艦ナデシコでしたっけ?なぜなに?

とにかく、この企画は私、山高帽子が皆さんから何かに対して質問をお受けし、それに答えるという趣旨の企画です。

もちろん私は神様じゃありません。

なので、すぐ判るとは限りません、色んな所から情報を引っ張り出してきて、それを取り混ぜて噛み砕いてからお答えさせていただきます。

質問の応募はコメント欄からお願いします。

下ネタ全般、宗教ネタの一部、数学の問題、あと私の倫理観に反するものはNGです、自分で調べましょうね。

因みに私が得意なネタは東西の妖怪・ファンタジー・アニメ・農業・亀・熱帯魚・酒です。

これらの関係だとわりかし早くお答えできると思います。

では、第一回目は先日某チャットルームで自慢げに披露した『柿の種、栄光への道』です。

 

柿の種が初めてこの世に現れたのは大正12年の新潟県長岡市でのこと。

生みの親である今井興三郎氏は大阪で修業を積んだ職人であったため、店には「大阪屋」と付けるつもりだったようだ。

が。

生憎すでに大阪屋は存在しており、やむなく「浪速屋製菓」を名乗るようになった。

当初、煎餅を焼くために使う金型は小判型であり、今井はそれを使って煎餅を焼くはずだった。

が。

それを今井夫人がそれをうっかり踏んでしまう、開業早々縁起が悪いことである。

今井は何とかそれを直そうとしたがこれがどうにも直らない。

「なにしてるんだ!ばかっ!お前のせいだぞ!」

「煩いわね!あんたがそんなとこに置いとくのが悪いんでしょ!」

そんな会話があったかどうかは判らないが、とにかく金型は歪んでしまった。

まあ、買いなおす程の事もないと思ったのか、夫人に押し切られたのかは判らないが今井氏はそれを使用して歪んだ小判型の煎餅を売り出した。

これが現在の柿の種の元である。

因みにこの頃はまだ現在の大きさではなく、親指大ほどの大きさがあった。

さて、柿の種のネーミングのルーツだがこれはお得意様の一言が元だといわれている。

「これは、小判には見えないよ、あれに似てる、柿の種、商品名変えれば?」

今井氏は商品名を変えた。

銘菓・柿の種誕生の割とあっさりした瞬間であった。

 

さて、ここで皆さんに考えていただきたい。

柿の種と何気なく呼んでいるあのお煎餅。

実にさまざまな会社で作られていると思われないだろうか。

ざっと思い出しただけでも四つくらいのタイプが思い浮かぶことと思う。

これは他でもない今井氏が製法を全国に公開したことから生まれた現象であり、おかげで。

「柿の種は新潟の名産なんだよ」と言っても。

「どこでも売ってるよ」

と言われるくらい全国的に有名なお菓子となった。

 

さて、この製法を公開した理由だが・・・一つの逸話がある。

事実かどうかは不明だが、裏話として是非知っておいていただきたい。

 

今井氏はもちろん始め製法の公開なんて考えなかった。

柿の種はネーミングが良かったのか、はたまた形が良かったのか人気商品となっていた、今井氏は製法を隠し、自宅でこっそり作っていた。

何をけちな、と言われるかもしれないが、当然である、ラーメン屋だってスープの成分は内緒にするものだ。

しかし、秘密に作っていたのに柿の種の製法はあっけなくばれてしまい、類似品が出回るようになった。

「なんでだああああああああああっ!!」

と、叫んだかは定かでないが悔しい今井氏は原因を調べた。

必死の調査をするまでもなく犯人は明らかとなった。

犯人は・・・・。

であった。

 

説明しよう、なぜ雪が犯人か。

家の周りには塀が、或いは垣根がある、今井氏の家にもさぞかし高い塀があったことだろう。

普通に覗こうと思っても自宅の中での作業は見えないわけだ。

さて、皆さんご存知のように新潟は世界でも屈指の豪雪地帯である。

冬ともなれば道は雪に埋まりその雪の上を雪を踏んづけて人々は往来を歩くことのなる。

自然、人々の目線は雪を踏み台として高くなっていく。

今井氏はさぞかし油断していたのだろう、まさか塀の外からは覗かれねえだろう、と。

そして、綺麗な空気を吸いながら仕事がしたかったのかもしれないが、縁側辺りで作業をしていたのかもしれない

さぞかし通行人は或いはライバル会社はそれを興味深く観察したことだろう。

 

「雪めええっ!!覚えとけよおおおおおっ!!」

と、真相を知った今井氏は叫んだかもしれない。

かくして腹をくくった今井氏は製法を全国に公開した。

心境としてはやけくそ、といったところだろう。

因みに、情報源が情報源だけにこの情報は割りと信頼できるかもしれない。

 

さて、最後に今井氏の雪に対する憎悪の深さを示すと思われる事実を紹介しておこう。

雪国でよく見かけるのではないだろうか↓

Shousetsu_pipe

名前を消雪パイプと言う、地下水を利用して雪を溶かして流すというもので、新潟の道路には標準装備されている。

これの発明者が今井興三郎、その人である。

よほど腹が立ったのかもしれない。

 

さて、この元祖柿の種の製作者である今井興三郎氏創立・浪速屋製菓は現在でも絶好調で柿の種を作っている。

新潟に来た折は、この裏話を添えてお土産として是非お買い求めいただきたい。

通信販売も行われている。

 

 

と言うことで、いかがでしたでしょうか、柿の種・栄光への道。

『なぜなに山高帽子』では皆さんからの質問をお待ちしております。

ご応募はコメント欄から、年齢制限はありません。

というか、質問がないとこの企画いきなり終わるので。

よろしく質問お願いします。

| | コメント (4) | トラックバック (0)